2013年06月28日

じゅな闘病記3

1,2共に、長文にお付き合い頂きありがとうございます。
3も、長文になると思うので、お付き合い頂ければ幸いです。

手術が終わり、スヤスヤと眠るじゅな・・・。
術後の炎症で、発熱するも、なんとか37度代をキープ
看護師さんが、こまめに点滴確認、尿の量確認、
傷口確認、血圧、体温、血中酸素量、脈拍などの
様子を見にやって来る・・・。

私もテレビの光を眺めながらウトウトするが、
看護師さんの気配で目が覚める・・・。
ただ、目をつぶっているだけなんだと思う・・・。
酸素マスクの音とじゅなの寝息だけが聞えて来る。
長椅子に、座ったままウトウトとしていると、次第に
夜が明けてきた。

手術から2日目が明けた・・・。
手術後の、発熱はまだまだ続き、氷枕を
何度も交換してもらう。
術後の、血圧、体温、酸素濃度、尿量、点滴交換
等が続く、点滴は7時間ごとに交換、1日2回の抗生剤
投与、継続的な痛み止めの投与が続く。
お昼過ぎ、酸素マスクが外れる。
お水を少し飲めるようになった。
夕方、部屋の中を歩行練習するが、ドアの所までが
精一杯で、吐き気を催し、車いすに座りこむ。
何も食べてないので、出るのは胃液だけ・・・。
ベッドに戻り、血圧を計ると、かなり低くなっていた。
熱は続いている・・・。
550tの出血量だったので、貧血を起こした様子。
顔色が青白く変化してしまっていた。
この日も、術後経過の観察が続く中、子ども番組を見ながら
辛いのをしのぐ・・・。
床ずれ防止のため、時々枕を左右に移動させながら、
体位変換するも、テレビのある方を好む(^^);
この日も、ひたすら淡々と一日が終わってしまった。

月曜日手術から3日目、今日はベッドの上で起き上がる練習をする。
さすがに、若いだけある、器用にベッドの柵につかまりながら起き上り
自分でベッドのコントローラーの調節が出来るように
なっていた・・・。
昨日から、嘔吐した時用の銀色のトレーを借りるも、
ひょんな事に、さわり心地が気持ちイイと言って、銀の皿を
抱いたまま離さないで過ごす。
お昼から、ヨーグルトなどの許可が出るも、食欲なし・・・。
お水、お茶だけを好む・・・。
今日も、起き上がり、自立歩行を行う、少しだけ廊下を歩けた。
スパルタ看護師さんのおかげ・・・。
導尿の管を抜くと言われるが、歩ける自信が無いのでイヤだと言う。
(なんという娘だ・・・・。)
夕方近くに、体を拭いてもらいすっきりする。
この日も、術後の細かいチェックと点滴交換などを行い1日が
過ぎる。パパがやって来たので、いったん家に帰り、食事を済ませ、
お風呂に入ろうとするとパパが帰って来る。
「完全看護だから大丈夫。本人も寝てるし」と言うが、
心配になり、急いでお風呂を済ませ、病院へ、向かう。
病室フロアにつくと、どこからともなく、点滴のアラーム音が
響いている。イヤな予感がしつつも、部屋に行くと、案の定
じゅなの点滴の機械のアラーム音だった。
本人は、一人ぼっちでいた事と、けたたましい音とで
茫然としていた。
気付くと一人きりだったのが、さびしかったと漏らす・・・。
しばらくすると、安心したのか眠り出す。

火曜日手術4日目
看護師さんとの約束通り、朝の検査後、尿導の管をはずしてもらい
本人、すっきりとする。
朝ご飯は、まだ出ないので、ヨーグルトに挑戦!!
お気に入りの、蒜山ジャージーヨーグルトを完食する。
今日のお昼から食事が出る。
楽しみにしていた食事だが・・・。運ばれて来て
唖然とする。術後初めての食事がカレーライスだった・・・。
さすがにこれは、キツイ・・・。
看護師さんもやってきて「そりゃないわ〜〜」と大爆笑。
笑い転げるじゅな、笑いすぎてお腹が痛いと言う。
今日も、少しだけ歩く。
今日も、体を吹いてもらう。
夕食が出るも、少しだけ食べて残してしまう・・・。
後になってわかった事・・・。
じゅなに出されていたのは、おとな用食事で、幼児食じゃ
無かった・・・。そりゃ、じゅなには大人量は食べれないので、
幼児食に変更してもらう。
昨夜、痛み止めの点滴が外れた事で、昼ごろから、痛みを訴える。
我慢しきれず、痛み止めを服用する。
点滴の機械も外れたので、自由にトイレに行かれるようになる。
相変わらず、おしっこの量を計るのみ・・・。

水曜日手術5日目
昨日より元気になる・・・・。
起き上がりも順調
食事も大分食べれるようになった。

木曜日 手術6日目
順調に回復、廊下を歩いて、頭をさっぱりと
シャンプーしてもらう。
夕方、担任の先生が来てくれる。
学校復帰に向けての話をする。
院内散歩で、院内図書館で本を借りる。

金曜日 手術7日目
明日、退院できると言われ、楽しみにする。
実は、木曜日でも良いですよと言われるが、
まだ、歩行にも、入浴にも自信が無かったのと
パパがいる日にしたかったので、土曜日でも
良いかお願いしたらOKですと言われる。
これには、他にも事情が・・・・。

実は、土曜日のお昼のメニューが冷やし中華
だったので、じゅなは、これが食べたくて土曜日
に決めたのだ。
もっと贅沢を言えば、日曜日(6月2日)の病院の
創立記念日で、この日のお昼の記念日の献立を
見て、お祝い膳が食べたいと言ったが、さすがに
それは無理とあきらめさせた・・・。

とにかく、手術ごは日に日に元気になってきて
驚くほどの回復力だった。
大事をとって、学校復帰は、1週間先延ばしにしたが、
傷口が気になるのと、体力の低下の回復が必要
だったので、自宅でしばらく過ごす。

退院の日は、学校の体育祭だったが、
参加できない事に、責任を感じている様子だった。

でも、元気に回復出来て良かった。

術後初めての診察6月13日、病院に行く。
執刀医から詳しく本人も説明を受けた。
どこまで理解できているか不明だが・・・。
とにかく安心出来た。

腫瘍の内容物に関しては、総重量2kg
腫瘍の性質成熟奇形腫
腫瘍の中からは、大脳の一部、胃の一部
骨、歯、皮膚、体の脂肪、髪の毛が出てきたとのこと。
写真を見せてほしいと懇願するも、医師が見ても
壮絶な中身だったので、見せれないと断られるも
さらに食い下がり、無理やりお願いする・・・。
なんとか、見せれる範囲以内で、極小さな
画像に切り替えて、それらの内容物の写真を
見せてくれた。血の気が引いたが、現実として
冷静に受け止める事が出来た。

余談だが、ブラックジャックのピノコも、同様の
奇形腫で、双子の姉とされる人物から摘出された
腫瘍の中身をブラックジャックが手術で、つなぎ合わせて
ピノコが生まれたとされているが、現実には、そのような
事は、あり得ないが、わかりやすく説明するには、子の様な
表現がわかりやすいらしい・・・。
ちなみに、じゅなの巨大な腫瘍はホルマリン漬けにされ保管
されているそうです。やはり、学会での報告事例の材料に
なるのでしょうね・・・。私としても、この事が、医学の進歩に
つながるならば、協力を惜しみません。これが、無力な
私の社会へのお礼かな?

じゅなの傷口について、この手術においては、驚くとは
思いますが、傷口は縫合されておりません。
なら、開いたままなの?と思われるでしょうが、そうでは
ありません、傷口を縫っていなくて塗ってあるのです。
傷口には、ダ―マボンドhttp://www.atomvetme.com/?page_id=2847
という、医療用ボンドが使用されています。
最先端の医療に驚かされました。この傷口は、抜糸
する必要もなく、日日の経過と共に、日焼け後の皮膚が
はがれる様に、自然にぽろぽろと剥けて行くそうです。
注意点として、決して無理矢理剥がさない事が必要です。
なので、傷口はミミズみたいにならずに一直線の傷になっているのみです。

今は、運動制限と傷口がすれないようにするために小学校のスカート
を履いての登校のみで、ごく普通に生活しています。
プールも傷口の為と、着替える時の周囲と自身の精神的負担
周りの子ども達が傷口を見てショックを受けてはいけないので、
その辺を考えて、体育の授業は見学をしています。

先日の参観日で保健体育の先生から、二次性徴についての授業を
行いたいが、この授業鵜を避けた方が良いですか?と言われたので
機能的な問題は不明ですが、卵巣も卵管も残っているので、
授業を進めて頂いても大丈夫です。万が一、残っていなかったり、
今後再発で、全摘出になったるとしても、冷静に自分を判断してもらいたい
ので、他の子どもさんに必要な授業なので、気にせず授業を行って
頂きたいとお願いしました。

冷たい母かもしれませんが、これから先、彼女が受け止めなくてはならない
人生がおとずれるのであれば、特別扱いは必要なく、他の子ども達と
同様に知っておく必要があると考えたからです。
この事により、他の子ども達まで、正確な知識を学ぶ機会を奪ってはいけないと
判断したからです。

夏休みまであともう少し、初めてのテストが待っています9教科デス
恐ろしや〜〜〜。

全体を通して、
親として、もっと早くに気付くきっかけはたくさんありました。
しかし、そのチャンスを何度逃してシイまいました。
執刀医の話では、全ての話を総合して手術日よりほぼ
1か月で、腫瘍が爆発的かつ急激に成長したとのこと。
今後のリスクとして、再発が無いように見守って行く
必要があるとの事でした。
大学病院の主治医にも、今回の件を報告し、倉敷中央病院
から、診療情報の提供をお願いしました。
私が話すより、ドクター同士での話しの方が誤解が生じない
と、判断したためです。
大学病院では、今後の二次性徴を含め、卵巣機能の検査などを
行いつつ、再発防止に努めていく方針です。
一番大事な年頃に、子の様な病気をしてしまい、本当に他の子ども
達と同じ様に成長出来るのか、同様に思春期を迎える事が出来るのか?
成長が止まってしまわないか?女性としての機能はどこまで果たせるのか?
気にすればキリはありませんが、一つずつ歩んでいきたいと思います。

最後に、じゅなの入院中心を和ませてくれた院内散歩のページの
URLを添付しておきます。数々の写メを残していますが・・・。
何せ、データーをおとすのが多すぎて、起こす事が
私の能力をオーバーしてしまっているので、ご了承ください(汗)

彼女の入院中も、日々命をつなぐための闘いが行われていました。
彼女の部屋の目の前は、ヘリポートでした。
入院中のある日、立て続けに2基のドクターヘリがやってきました。
1機はこの周辺だと思われましたが、もう1機は島根県からやって来た
ヘリでした。こうして、1つの命を救うため、常に救命が行われているのだと
感じさせられました。今日も、我が家の上空をドクターヘリは通過して、
じゅなの入院していた病院に向かっていました。そして、救急車も
毎日我が家の前を通り、目の前の交差点を左折して、病院に入って
行きました。
元気な時は感じなかった何気ない日常が、こんなにも胸が詰まる
思いに変わってしまうなんて、考えもしませんでした。
私も日ごろ心掛けている事ですが、救急車が、後方、前方よりやって
来た祭は、スムースな通行が出来るように、道を譲ってください。

じゅなをめぐる出来事、今回の件を通して、黙っていようと思いましたが、
腹にすえかねているのでつぶやかしてください。
受診した時は、命の危険すらあった状態での手術を受けた娘に
「消えちゃえ」「死んじゃえばよかったのに」と言われた事は、
親子ともども苦しく、悲しい出来事でした。
しかし、そのような暴言に屈することなく、強くたくましく、
人の痛みのわかる娘に育って貰いたいと思っています。
そして、彼女自信が、医学に救われ続けている事を理解してもらい、
医療を理解できる人に成長し、社会貢献できる人物に成長してもらい
たいと思っています。決して地位や名誉を追い求めるのではなく、
無償の奉仕が出来る人になってもらいたいのです。

とても、超長文にお付き合い頂きありがとうございます。

まだ、時折娘の話は出てくると思いますが、今回の入院の
お話はおしまいにします。

これからは、楽しい話題で満載にし、ショコラの日常を
綴って行きたいと思っています。

最後に、今回お気に入りになった院内散歩のURLをUP
します。こちらの病院は、大原美術館と同じ系列の
病院であるために、新旧が混ざり、美術館的な要素
満載の病院でした。もちろん、院内には、クロ―ドモネの
睡蓮の庭の睡蓮も、美術館より移植された睡蓮が
花開き、とても美しかったです。
倉敷中央病院http://www.kchnet.or.jp/



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ニックネーム しょこら at 19:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月20日

じゅな闘病記2

かなりの、超長文になりました。
こちらも、超長文になりそうですが、お付き合い頂ければ幸いです。


気がつくと、少しずつ空が白んできて、青い空の色が病室の
窓を通して見えてきた。
ウトウトと眠るじゅな・・・。
点滴のせいで、時折トイレに行きたがる・・・。
おしっこは、入院時からこまめにチェックされている。
トイレに行くたびに、点滴の装置のコードを外すので、
そのたびに、看護師さんを呼ばなくてはならない。
コードを抜くと、エラーのアラームが鳴り響く・・・。
結構うるさい音がする・・・。

朝、小児科の先生が診に来る。
今後、どうするか私の意向を聞きに来た。
一晩考えた挙句、学校の事も考慮し、
倉敷中央病院のお世話になる事を決意した。
そして、治療方針が伝えられた。

このまま、月曜日まで待ち、月曜日から
詳しい検査を行い、その後手術となります。と、
伝えられた。
長い入院生活になりそうな予感・・・・。
院内学級お願いしなきゃ・・・。
ここの院内学級は、じゅなの通う学校だから、
連携が取れるから、学校復帰も大丈夫と判断した。
まずは、学校に電話して、担任の先生に伝えてもらおう・・・。
土曜日で、部活指導に出てきている先生に
じゅなが入院した事をつたえてもらう・・・・。

看護師さんがやってきて、個室か大部屋かを聞いてきた。
一応、大部屋でお願いする。

その後、小児科医師と外科の医師がやって来た。
小児科から外科へ担当が変わったと告げられた。
ここで、主治医は、小児科から外科へ変わってしまった。

看護師さんがやってきて、「お部屋探してるけど決まらないから
もう少し待ってね」と言われたのが、10時前だった。

そして、次に外科の主治医がやって来た時に、衝撃の
一言が告げられた。
「お母さん、今日いきなりですが、じゅなちゃんの手術を
僕が行います」と・・・・。時間は、10時半ごろだったかな?
いきなりの急展開にビックリ!!
ただ、「お願いします」の一言のみ・・・。
そして、主治医が来てしばらくすると、また、主治医と共に
別の医師がやって来た。外科主任らしき医師が「僕に
なりました」とあいさつにやって来た。唖然とする私・・・。
再び「お願いします」と私・・・・。
なんかただ事じゃないと思い、家に電話しに外へ出る・・・。
家に電話すると、りょうやが出た。「パパは、おじいちゃん
ところへ行った」と言うので、りょうやにも、じゅなが
手術することになったから、と伝えた。
パパの携帯を鳴らすと、驚く事にりょうやが出た。
携帯を置いて行ったパパに激怒する私・・・。
りょうやが「ばあばん(私の母)にじゅなが入院して、
オペすること伝えたよ」と一言思わず「なんで言うの、
心配掛けるでしょ!!」と怒鳴り、叱ってしまった(反省・・・。)

部屋に戻ると、看護師さんが「お父さんに来てもらいたいのですが」
と言われるが、「仕事で連絡つきません・・・・。携帯鳴らしても、
家に忘れて行ってしまっていて・・・・。」と言うのがやっとだった・・・。
ふと携帯を見ると、どこからか着信が入っていた。
再び外に出て、かけ直すと、じゅなの担任からだった。
昨夜からの出来事と、現状を伝えるのに精いっぱいだった。
先生は、手術することに非常に驚かれていた。
電話を切って、部屋にもどると、看護師さんが私を探していた。
話を聞くと、部屋移動はもう少し待って欲しいとの事と、お父さんは
いつ来るか?とだった。しかし、「主人は、連絡がつかないので
いつ来るかわかりません・・・。」と伝えると「困ったわ〜〜」と言われ、
話を聞くと執刀医がお父さんの来るのを待っていると言われる。
なので、その旨を伝えてもらったら、すぐに外科の主治医が飛んできて、
「今日、これから準備が整い次第緊急手術を行う事になりました」
と、言われる。あまりの出来事に、うなづく事しかできなかった。

主治医が立ち去った後、麻酔科医がやってきて、「私は麻酔科の医師
です。じゅなちゃんの麻酔を担当します」と言われる。
麻酔の説明を受け、アレルギーの有無を聞かれ、承諾書にサインを
した。すると、主治医と執刀医がやってきて、「詳しい説明を行いたい
ので、こちらに来てください」と言われる。
言われるがままに、医師たちについて行くと、穏やかな顔をした医師が
もう1人座っていた。「お母さん、私がじゅなちゃんの手術をすることに
なりました」と名前を名乗りあいさつされた。ネームカードには、部長
書かれていた。
昨夜からの、レントゲン、CT画像、血液検査結果などを見せてもらい
ながら、病状の説明を受ける。
医師は、「じゅなちゃんの、右の卵巣に大きな腫瘍が出来ています。
これが、肝臓です。そして、こちらが膀胱です。そして、これが
左の卵巣です。腫瘍は、これらを押し上げ、押しつぶし、巻き込んで、
残念ですが、卵巣茎と卵管が捻転を起こしていて、それぞれが、
血流障害を起こし、壊死している可能性があります。そして、
腫瘍事態もすでに、いつ破裂を起こしてもおかしくない状態に
あります。腫瘍が破裂を起こすと、内容物が腹膜に浸潤し、
腹膜炎を引き起こす可能背もありますし、腫瘍が、腸管、肝臓
、子宮、膀胱、腹膜に癒着している可能性もあります。
なので、右側の卵巣と、卵管は全摘出します。状況に
より、左の卵巣も摘出する事も考えられます。この場合
手術時間は4時間程がかかりますので、ご了承ください」と・・・。
これらの説明を、自分ひとりで飲み込むには大きすぎた・・・。
何が何だか、何が起きてるのか?卵巣を取る、卵管も取る?
そう言う事は、将来子どもを諦めろと?この小さな年の子どもに?
そう言う事だ・・・。「わからない事?」そんなのわからない・・・・。
「不安な事?」そんなのわからない・・・。全てを受け入れなきゃ
ならない気持ちで、いっぱいいっぱいだった・・・。
次から次へと差し出される同意書にサインを続けるのに必死!!
冷静を保つのに必死!!じゅなに、涙を見られない様にするのに
必死!!全てが必死!!の世界に一人ぼっちで投げ込まれた。

全ての事を了承し終えた頃に、母と息子がやって来た。
そこから、ほとんど自分が何をしたか、記憶が飛んでしまって、
いまだに思いだせない・・・・。
どっちが先だったのか?
じゅなは、1晩中居た部屋から手術室へ向かったのか?
一旦病室へ行って、手術室へ行ったのか?まるっきり記憶にないの・・・。
手術が終わるころ、疲れたと思い、母とモネの睡蓮のテラスでお昼とお茶を
していた時なのか?何かを買い出しに行った時なのか?パパがパタパタと
走りながらやってきて、「手術が終わったから、今から説明聞くぞ」と・・・・。
言われてから、記憶が戻ったでも、いったい彼はいつやって来たのか?
私の記憶の中にまるっきりない。
母が言うには、「わたしと一緒に来たでしょ」と言うが、りょうやが居た記憶は
あるけれど、パパが居た記憶は一切無い・・・。私が「パパは、手術が終わる
直前に来て、私達買い物に行った気がするけれど?」と言う私に母は「それは
違う、手術前に来て、手術室へ入るのを見送った」と言う・・・・。全く話が違うの
だ・・・。完全に自分の記憶が抜け落ちている事は理解出来たけれど、
すごく、自分が情けない・・・。

術後説明を受けた時、両方の卵巣、卵管を助けてもらえた事を理解出来た時、
初めて大粒の涙があふれ出た。小さな卵巣になったけれど、機能はどこまで
あるのかわからないけれど、助かった・・・。そんな思いで涙が出た・・・。
画像を見ながら、医師と冷静に話した自分、「石灰化質がありますが、
これは血液が石灰化したものですか?」と聞いた自分がいた。
「いえ、これは、骨か歯の一部です」と教えられた。
じゅなの病名は、「両側性卵巣膿腫」で「成熟奇形腫(皮よう性腫瘍)です。
中身は、切り開いて見ないとわかりませんが、恐らく、髪の毛、体脂、歯、骨
等で、まれに、脳の一部とか、内臓の一部とか、体のパーツが出てきて、
我々でも、直視できない状態の中身もあります。」と穏やかに語られた。
そして、「じゅなちゃんの中にあった腫瘍をご覧になりますか?」と医師が言うと
パパは物珍しそうに、嬉しげに「見せてください」と言った。そう見えたし、そう
聞えたのだ・・・。私は、冷静にお願いしますと言うと、医師は、
「これがそうです。大きいでしょう・・・。重かったと思いますよ。」
「しんどくて、ごはんが食べれなかったでしょう、痛かったでしょう」
「実は、開腹しただけでは、取り出せれなかったので、一部穴をあけて、
腫瘍の中の水を抜いて小さくして出したんですよ。」と言われた。
腫瘍の重さは、2kgに及び、サイズ的にはダチョウの卵3個分までに
成長していたのだ。本当に、腫瘍は数えると3個出来ていました。
「ありがとうございます」ただ涙でぐしゃぐしゃになりながら、執刀医に
お礼を言うので精いっぱいだった。
「麻酔が覚めたら、お部屋に移しますから、お部屋でお待ちくださいね」
と、言われトボトボと部屋に帰った。
ケド、母やりょうやには、涙は見せれないので空元気を出して「大丈夫
無事終わったよ」と伝えた。

しばらくして、じゅなが部屋に帰って来た。小さな体に、酸素マスクをつけ、
点滴につながれ、おしっこの管がついたままの姿を見たら涙が出そうだった
けど、ひたすら我慢して、見守った。
意識が戻って、ボーっとしているじゅなを見てホットする・・・・。
外は、すっかり暗くなっていた。この日の晩ご飯、今となれば、食べたのか
食べていないのか?全く記憶が残っていない・・・。
静まった病室に、テレビだけの光を眺めつつ、夜を過ごした。
もちろん、母、パパ、りょうやは家に帰ったけれど、私は泊まり込む事に
決めた。せっかくの個室だし、点滴に機械がついている限り、安心できない
もの・・・。長椅子があるから、眠ろうと思えば眠れるし、室内にはトイレも
ついているから、安心だもん・・・・。
この時、パパからなんと言われようが、個室にして良かったと、つくづく
感じた次第である。

そして、麻酔から覚めたじゅなの様子を見た看護師さんが、じゅなを見て
「エライね。じゅなちゃんと同じくらいの年頃のお子さんだったら、
術後はみんな泣き続けてますよ。我慢強いね。痛い時は、ちゃんと痛いって、
言って良いんだよ。我慢しなくて良いんだよ。」と言われた。
また涙が出た。この我慢強さが、病巣を大きくしたのだから・・・・。
親なら早く気付くべきだった。バカな親である。親の資格など無いよ・・・。
執刀医は「この病巣は、最近急激に成長したものですね」と言われた。
今を振り返れば、遅くても5月のGW明けに気付いてやるべきだった。
こんなに、我慢させるなんてバカにも程がある。
小さい頃から、病院で様々な検査を受けてきたおかげか?
泣かないで過ごす事がエライ事だと、教え続けた私のバカな
教えの犠牲にじゅなはなったのだ。
注射大好き。注射、採血してもへっちゃらな娘にしてしまったのだ・・・。
泣かなかったら、良い事として、痛くて辛い治療も、ご褒美を与えて
来たら、いつの間にか、自分の極限に達するまで、我慢してしまう
子どもに育ってしまった。育児失敗だ・・・。

でも、笑う事で前向きにさせようと、麻酔から覚めたら、色々言って笑わせて
しまった私・・・。「おなか痛いから、やめてとブーイングしながら眠ったじゅな。
その、寝息を聞けたのが、何より嬉しかった夜だった。

ちなみに、5月25日は、亡き父と祖父(父の父)の誕生日だった。
この日は、2人の好きなお菓子でお祝いしようと思っていたのに・・・。
こんな出来事が起こるなんて・・・。
父と祖父が守り、助けてくれたような気がしたこの日となった・・・。

長文につき、手術編まで・・・。

次に続く・・・・。
ニックネーム しょこら at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

じゅな闘病記1

久々のブログUPデス。
ようやく心の整理がついたので、再開しました。
まずは、このお休みしていた間の出来事を、何回かに分けて
お知らせした後に、本来のブログに戻させていただきますね。
(じゅなと病気の覚書として残したいので)
そして、なにか読者の皆様のご参考になれば幸いです。

2月中旬、中学校の制服の採寸に行く。身体が小さいので、
全て、一番小さいサイズの制服、体操服を注文
スカートは特に、一番小さいサイズの物の一番小さいところへ
アジャスターを取りつけてもらい、なんとか着用出来た。

3月19日小学校卒業式後、新しい制服を取りに中学へ行く。
仮に履いて見るがちょっとブカブカ・・・。でも、履ける程度
なので、太るのを待つことに・・・・。

4月3日岡山大学病院を受診、性徴ホルモンから、そろそろ
生理が来てもおかしくない時期に入ってきている夏ごろには
生理が始まるのでは?との主治医の見解。ただし、体毛が
生えてきていないのが、不自然なので、副腎皮質ホルモン
値を経過観察で診ていく方針をつたえられる。
この時は、腹部の異常は認められなかった・・・。

4月12日入学式、ブカブカのスカートがひときわ目立っていた・・・。
入学後も、同級生の意地悪な子から、スカート丈が長い、昔の学生みたい
とバカにされた。と言って、悔しがって帰って来る・・・。
一番小さいスカートを選んだのに、しかたないじゃないと、説得すると、
本人も、「わかってる」と納得する。
4月25日頃、学校で滑って転んだと話してきた。
どこか打ったか尋ねると、お腹を少しねじったと話してくれた。
湿布を当てて、様子を見る事になる。
しかし、ずっとねじったところ(右腹部)の痛みを訴えるも、波があるとのこと。

5月GW中も、右腹部痛を訴えるも、4月の診察時のドクターの話から、
生理前の女の子特有の腹痛と判断した母・・・。生理が近いんだと、母子で
話をする・・・。

GW明け、腹痛を訴え続けるも、痛みに波があり我慢できない痛みではない
と本人が言うので、気になりながらでも、生理前痛と思う私だった。

5月15日ごろ、学校よりの電話・・・。本題が終わった後に、担任の先生より
ここの所、給食をすごく残すので気になると、報告を受ける、確かにここ数日
食欲が急激に減ってきていた。しかし、GW明けもあり、4月からのなれない
中学校の疲れが出始めて、欠席している子ども達も沢山いると聞いているし。
例年、この季節には、疲れて数日寝込むのがお決まりだったので、5月病
か?と担任と話し、ゆっくりと休ませることにする。

5月18〜19日学校の自然教室に参加する。
今年は、宿泊先が受け入れ団体との兼ね合いで、宿泊棟、ロッジ共に定員
オーバーとの事で、じゅなたちの学校は、初日の晩ご飯はあるけれど、
風呂なし、テントで寝袋で就寝、朝食、昼食ともに自分たちで作る事になり、
初めての対応となる先生方も不安を抱えながら、過ごしたとのこと・・・。
19日、夕方行事をこなして子ども達無事帰宅。
私は、岡山県ことばを育てる親の会の集まりで、懇親会まで参加したので、
じゅなにあったのは、翌朝だった。
5月20日帰って来たじゅなと対面、体のかゆみを訴える・・・。
体を見ると、虫さされがあり、ダニに噛まれたと判断する。
もちろん、塗り薬を縫ってやる。この時も、右腹部痛を訴え、生理がなかなか
来ない事に不安を感じ始めた私である。

5月21日学校は、振り替え休みで、一日ゆっくりと過ごすじゅな。
ごはんを食べるも、大量に残してしまい、ついついしかってしまった。
右腹部痛はこの日は訴えなかった。

5月22日学校へ登校、この日より、6月1日の体育祭に向けての
ハードな練習が始まる。部活を終えて帰宅後、「疲れた」との一言。
お茶をたくさん飲み干す。
食事前お風呂に入る姿に違和感を感じる。お腹が異常に大きい。
触ってみるとパンパンに張った手触り、本人に聞くも、「お茶を飲んだから
お腹がパンパンになったかも・・・。」とそのことばを信じた私。
この時、異常を感じ、翌日病院を受診していれば、今回の様な
事態を軽減出来たかもしれない。
しかし、翌朝まで、岡大病院に行くかどうするか迷い続けた私、朝の
様子を見て、決める事にした。

5月23日朝ご飯を3口程度で終える「もう、欲しくない」と言う・・・。
スカートのアジャスターが一番奥にあったのに、この日見ると、
アジャスターは真ん中よりもまだ手前に移動していた。
理由を聞くと「スカートのベルトが気持ち悪い」と言う。
この言葉を信じたばかりに、またしても信号を見逃してしまう。
岡山大学病院の小児科T先生の診察を受けるか?娘に打診するも、
「大丈夫」と言うので、そのことばをうのみにする。この時も、腹部痛
は、訴えなかったが、夜になり、「少し、お腹が痛い」と訴える。
ごはんの後だったがお腹を見るとパンパンで膨らみ、硬い手触りだった。
もう一度娘に、「このお腹どうしたの?」と尋ねると、「お菓子と、ごはんと、
お茶の食べ過ぎと飲み過ぎに、ウンチが出てないもん」と返事が帰って来た。
そのため、「ウンチが出るように、お腹マッサージしようか?」と言って、
親子でマッサージをするも、ウンチは出なかった。

5月24日、この日も朝ご飯を3口程度しか食べずに、学校へ登校。
この日は、体育が3時間通して、運動場で行うとの事で、冷たいお茶を
準備するも、忘れて行ってしまっており、どうするか悩んでいる時に
学校から「じゅなさんが、体育祭の練習中に倒れて、嘔吐したので
迎えに来てください」と言われすごくいやな予感がしたので、慌てて
迎えに行くと、学校の日陰になったテラスで嘔吐してる子、氷で体を
冷やしている子、座り込んでぐったりとしている子が10人程いた。
また、すでに保護者が迎えに来て、早退している子どもの姿も見受けられた。
そのため、「軽度の熱中症」と判断した私です。帰る時も、次の保護者が
我が子を迎えに来ていた。
この日の夜も食欲なし、お腹がパンパン、少しの吐き気、腹部痛を訴える。
しかし、「熱中症」と「自家中毒(周期性嘔吐症)」の為、ケトンが出ていて、
腹痛、吐き気を訴えているものと思い込む。

5月24日、食欲なし、吐き気、体のだるさ、頭痛、腹痛を訴えたので、
無理をさせず、熱中症の症状と考え、自宅療養させるべく、学校に欠席の
連絡をする。1日中ゆっくりと、食べたいもの、飲みたいものを摂取しながら、
頭痛薬、正露丸を飲ませ、夕方まで過ごす。
晩ご飯前、お風呂に入る、やはりお腹がパンパンなのが気になる。
この時から、頻繁に右腹部痛を訴えるようになる。
夕食後、お気に入りの番組をご機嫌で見て過ごしていたが、PCで
調べ物をしていた私の横に来て、生まれて初めて、「お腹が痛い」
と泣きながら、ベッドでゴロゴロと転がりながら訴え出した。

やはり、右腹部が痛いとのことで、生理前痛にしては長すぎると判断。
ここ数日の様子から、周期性嘔吐が重症化したか、虫垂炎、便秘かもと、
考える。周期性嘔吐症もしくは虫垂炎であると、早期の処置が必要と考え
便秘なら、恥のかき捨てで、帰れば良いと判断し、本人に歩行は可能かを
確かめると「我慢したら歩ける」と言ったので、救急車を呼ばずに歩いて
近所の、倉敷中央病院を受診する。
受け付けを済ませてから、しばらくすると診察の順番が回って来た。
医師に、症状を伝える。右腹部痛があり、痛みに波がある事、この
数日間の事を洗いざらい話をする。念の為、レントゲンを撮る事になる。
歩いて、レントゲン室へ行き、レントゲン撮影を行う。
結果が出たので、診察室に呼ばれる。目の前には、じゅなのお腹の
レントゲン写真があり、その写真の右腹部の真っ白な陰に違和感を
覚える。医師は、即座に後ろのベッドに横になるように指示、触診を
丹念に行った後で、部屋の電気を消して、エコー検査の了解を求める。
了解すると、早速エコー検査が行われる。非常に丹念に検査を行う。
何枚ものエコー写真をプリントアウトしている・・・。
「痛い」と訴えていた部分よりもかなり上の方まで(肋骨のあたりまで)
エコーを当ててはサイズを計り、写真をプリントアウトする・・・。
非常に嫌な予感が頭をよぎる。ただ、黙々と検査を行うマウスの
音だけが響いていた。
心の中で、まさか「腸閉そく?」「盲腸?」「盲腸が破裂して腹膜炎起してる?」
と悪い事ばかりが頭の中をよぎって行く・・・。
ようやく、検査が終わった。
服を整えて、じゅなは、横になったままでいるようにと指示を受ける・・・。
(こんなの、普通じゃない!!いったい、何があったんだろう!!
何が起きているのか?早く教えて欲しい!!)
ようやく医師が、「お母さん、おかけください」と・・・。
言われるがままに、椅子に座る私、ベッドでぽかんとしてるじゅなを見つめた。
「お母さん、じゅなちゃんのお腹の中には、非常に大きな出来ものがあります。」
「今日は、このまま入院していただくか、明日の朝入院準備をして、再度受診して
頂くかどちらかです。入院されたら、明日、明後日は休みですので、月曜日から
精密検査を行い、手術を行う事となります。」
私「・・・・・。」ことばを失いました。ようやく出たことばは、
「普段は、岡大病院にかかっていて、主治医もいますので、この情報を持って
岡大病院に行く事は可能ですか?」と、なんともアホな事を言ってしまった。
医師は、「構いませんが、行ってもここで受けた検査と同じ事をあちらでも
再度行い、時間と体に負担がかかるだけですよ・・・。」と言われた。
ごもっとも・・・。
とにかく、ない頭をフル回転させて、「先生、今晩一晩考えさせてください
そして、この子は今夜は、こちらで入院させてもらって構いませんか?
このまま連れて帰っても、万が一急変しても不安ですので・・・」とバカな
お願いをした私に医師は快く「構いませんよ」と言われ。
では、「お願いします」と言ってしまった。
そして、医師からは「もうひとつ、造影剤を使ってCT検査を行いたいのですが
構いませんか?」と言われ、承諾書にサインをしたら、じゅなは、車いすに
乗せられて、CT室まで連れて行かれた。すでに、血液検査を済ませて
いたので、ルート確保のカテーテルも挿入されていた。

CT撮影後、結果を見せてくれた。説明を受けながら、思わず「石灰化した
物が見えますね」とつぶやいた私・・・。「そうですね・・・。石灰化してる
部分がありますね。詳しく検査してみないと、わかりませんが・・・。
とにかく、今夜は救急のお部屋で過ごしてください。明日の朝に
なったら、普通のお部屋にご案内しますので・・・・」と言われ、
救急の部屋に連れて行かれ、痛み止めと水分補給の点滴を
行ってもらった。「お母さんもそばに居てあげてください」と
看護師さんに言われる。少し、落ち着くまで、じゅなのそばにいたが、
家の事をほったらかしにしたまま出てきたし、パパに報告しなきゃいけない
と、我に帰り、落ち着いた頃に、看護師さんにお願いして、一度
家に帰らせてもらう事をお願いした。
家に帰ると、パパが帰ってくつろいでいた。「じゅなは?」の一言に
「緊急入院した。月曜日から検査するって、岡大病院に転院するかどうかも
今夜中に考えて答えを出すことにした。」と伝えたら・・・。
「お前はバカか・・・!!たかが、腹痛で病院連れて行って言われるが
ままに入院させて帰って来る奴がいるか!!そんなん大した事
ないだろう!!病院は、大げさなとこなんだ!!何考えてる!!
冷静になれ!!」と、しこたま叱られた。
思わず、パパのことばにブチ切れた私は「あのレントゲン写真や
CT画像見てない人間が、何言ってるの!!あれは、尋常じゃないもん!!!」
「緊急入院なんて、普通じゃないじゃん!!いったん連れて帰って明日の朝
必ず来てくださいって、言われたら、そのまま入院させるでしょう!!」
「このまま、洗い物済ませて、お風呂入って着替えたら、また病院行くから!!!」
「何、バカ言ってんだ!!完全看護の病院だろ!!明日の朝行けばいいんだよ!!」
「バカとは何よ!!じゅなのそばについていてあげてくださいって、言われてンの!!!」
「行かなきゃ、一人ぼっちで、初めての場所で広い部屋の中に居るのに、可愛そうじゃない!!」
と激怒した私・・・。「みんな、いちいち大げさなんだよ。そんなん、大丈夫に
決まってるだろう!!」と言ったパパにまたまたブチ切れて。
「おおげさじゃない!!じゅなが死んでも良いって言うんなら別だけどね!!」
「わたしは、付き添いに行きますから、そう言われてるし、当たり前でしょ!!」
と、吐き捨てて、洗い物済ませ、お風呂に入り、簡単な身支度を済ませてから、
再び病院へ帰りました。
病室前のインターフォンを鳴らし、中へ入れてもらいました。
じゅなは、一人ぼっちで、部屋の中にいました。隣のベッドでは、
年配の男性が、いたいとつぶやきながら、奥様になだめられつつ
過ごしている気配だけが伝わってきました。
広い、広い部屋、板1枚とカーテンで仕切られた救急の観察室の
様な部屋に、ただ医療機器の音だけが「ピッピ」と音を立てながら
夜が更けて行きました。私も、座ったままウトウトしてしまい。
時々訪れる看護師さんやドクターの気配に目を覚ましつつ、
寝たり起きたりを繰り返し、じゅなの寝息を聞きつつ、不安な
一夜を過ごしました。
気付くと、窓越しに少しずつ闇が白んでいくのが見えました。
「朝が来たな〜」と感じました。

次へ、続く・・・。


ニックネーム しょこら at 14:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月02日

やっと・・・・。

やっと、更新できる環境に帰ってきました・・・。

IMG_9446 行きたくない〜〜.jpg

じゅなを襲った病魔の為、お休みしておりました。
おかげさまで、昨日退院しました。

本来なら、詳しくお話しするところ、まだゆとりが
ありませんので、お許しください・・・。

なので、もうしばらく、お休みさせてくださいね・・・・。


じゅなのお友だちへ・・・。
いっぱい心配かけてごめんね。。
ぶじ、お家に帰りました。
お見舞いに来てくれたり、メールくれたりしてくれて
ありがとう。じゅなも、おばちゃんも嬉しかったよ^^

みんな、優しいいい子だね・・・。

学校は、もう少しお休みします。
学校行き出しても、しばらくは、ちょっと
ちがう感じで行きます。
病気のあとなので、助けてね。
お願いします。

お友だちの、ご両親様へ・・・。
この度は、娘の事に関しまして、
大変ご心配をおかけいたしました。
お嬢様方の暖かなお心遣いありがとうございます。
親子ともども、お嬢様方の優しさに元気づけられました。
おかげ様で、昨日退院いたしました。
学校へ行く事は、もう少し時間がかかると思います。
また、出来ました時に、改めてお礼申し上げたいと
思っております。
また、しばらくは体への負担を軽減するため、フリーな
スタイル、付き添い登下校いたします事、ご理解
くださいますよう、お願い申し上げます。
まずは、お礼とご報告まで・・・。

落ち着きましたら、直接お話し、ブログでの公開を順次
行って行きたいと思っておりますが、今しばらく
休養を取りたいと思っておりますので、ご理解の程よろしく
お願いいたします。

IMG_9460 しあわせぷりん.jpg

また、パピヨン関係のお友だち・・・。
黙っていて、本当にごめんなさい・・・。
元気になったら報告しますので、もう少し待っていてください。

IMG_9449 暑いです。.jpg
ニックネーム しょこら at 19:45| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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